せっかく採用し、手塩にかけて育てたタイ人社員が、ある日突然「辞めます」と告げてくる。あるいは、何の予兆もなく職場に来なくなってしまう……。タイで事業を展開する多くの日系企業や駐在員の方が、このような人材定着の難しさに頭を抱えています。
日本では想定しづらい理由での離職や、より良い条件を求めて短期間で転職を繰り返す「ジョブホッピング」は、タイの労働市場における大きな特徴の一つです。しかし、これを単に「文化の違いだから仕方がない」と諦めてしまっては、いつまでも組織は安定せず、採用コストや教育コストばかりが嵩んでしまいます。
実は、高い離職率を改善する鍵は、退職の申し出があってからの引き留め工作ではなく、「採用段階」からのアプローチにあります。候補者の本音を見抜く面接、タイ人の価値観に寄り添った評価制度、そして入社後のミスマッチを防ぐオンボーディングなど、入り口の時点から戦略的なリテンション対策を講じることが重要です。
本記事では、タイ人社員が定着しない本当の理由を文化的な背景から紐解きつつ、採用時から実践できる具体的な離職防止策を解説します。優秀な人材に長く活躍してもらい、強い組織を作るためのヒントとして、ぜひ日々のマネジメントにお役立てください。
1. タイ人社員が突然辞める本当の理由とは?文化や価値観の違いから紐解く定着のヒント
昨日まで笑顔で働いていたタイ人スタッフから、突然「辞めます」と告げられ、頭を抱えた経験がある日本人マネージャーは少なくありません。日本では「石の上にも三年」という言葉があるように、一つの会社で長く働くことが美徳とされる傾向がありますが、タイにおける労働観やキャリア形成の考え方は日本と大きく異なります。
タイ人社員の定着率向上を目指すには、まず彼らがなぜ離職を選ぶのか、その背景にある文化や価値観を深く理解することが不可欠です。ここでは、タイ特有の文化背景から見えてくる離職の主な要因を解説します。
ジョブホッピングはキャリアアップの手段**
タイでは、転職を繰り返して給与やポジションを上げていく「ジョブホッピング」が一般的なキャリア形成の手段として定着しています。日本のように転職回数が多いことがマイナス評価に直結することは少なく、むしろ経験豊富と捉えられるケースさえあります。そのため、現在の職場よりも高い給与や良い条件のオファーがあれば、躊躇なく転職を決断する傾向が強いです。たとえ月給が数千バーツの違いであっても、彼らにとっては生活の質を向上させる大きな動機となります。
「サバイ(心地よさ)」と人間関係の重視**
タイ人の価値観において最も重要視されるキーワードの一つが「サバイ(Sabai)」です。これは「心地よい」「快適な」という意味で、職場環境においてもストレスがなく、楽しく働けるかどうかが極めて重要視されます。
上司が日常的に怒鳴ったり、職場の雰囲気がギスギスしていたりすると、彼らは「マイ・サバイ(心地よくない)」と感じ、精神的な負担を避けるために離職を選びます。業務内容のやりがい以上に、直属の上司や同僚との良好な人間関係、そして職場の「サヌック(楽しさ)」がリテンションのカギを握っています。
「クレングチャイ(遠慮)」により本音が見えない**
日本人が「突然辞められた」と感じる最大の要因は、タイ独自の「クレングチャイ(Kreng Jai)」という文化にあります。これは相手への配慮や遠慮、対立を避ける心を指します。
彼らは上司に対して不満があっても、面と向かって反論したり改善を要求したりすることを避ける傾向があります。その結果、笑顔で業務をこなしながら内心では不満を蓄積させ、限界に達した時点ですでに転職先を決めて事後報告として退職を申し出るのです。日本人からすれば「相談してくれれば対処できたのに」と思う場面でも、彼らにとっては波風を立てずに去ることが美徳とされている場合があります。
このように、タイ人社員の離職は単なる金銭的な問題だけでなく、職場環境の心地よさやコミュニケーションスタイルの違いが複雑に絡み合っています。これらを前提とした上で、彼らの心に寄り添ったマネジメントを行うことが、長期的な定着への第一歩となります。
2. 面接で本音を見抜く!早期離職を防ぐために採用担当者が確認すべき3つのポイント
タイにおける人材流動性は日本と比較して高く、より良い条件を求めて転職する「ジョブホッピング」は決して珍しいことではありません。そのため、採用面接の段階でスキルや経験の確認だけでなく、長期的に定着してくれる人材かどうかを見極めることが非常に重要です。ここでは、採用後のミスマッチを減らし、早期離職のリスクを回避するために面接官が必ず確認すべき3つのポイントを解説します。
1. 過去の退職理由と「辞める決定打」の深掘り**
履歴書上の転職回数が多いというだけで不採用にするのは機会損失になる可能性があります。タイではキャリアアップや給与交渉の手段として転職が一般的だからです。重要なのは回数ではなく、「なぜそのタイミングで辞める決断をしたのか」という本音の部分です。
特に注意すべきは、人間関係のトラブルや上司への不満が原因の場合です。タイの文化では「調和」や「顔を立てる」ことが重んじられるため、不満があっても直接言わずに突然辞めてしまうケースが少なくありません。面接では「前の職場で一番ストレスを感じたことは何か」「もし戻れるなら何を改善したいか」といった質問を投げかけ、自社の社風やマネジメントスタイルと合致するかを慎重に判断しましょう。給与が理由の場合は、自社の昇給制度でその希望を満たせるかを正直に伝えることが信頼につながります。
2. 通勤手段と家族の事情に関するリアリティチェック**
実務能力とは無関係に見えますが、タイ人社員の離職理由として頻繁に挙がるのが「通勤の困難さ」と「家族の事情」です。特にバンコク首都圏などでは交通渋滞が深刻であり、通勤時間が長いことは日本人が想像する以上に大きなストレス要因となります。雨季の移動困難さが引き金となって退職する場合さえあります。
また、家族との絆を最優先にする国民性があるため、親の世話や実家への帰省のしやすさが就労継続の鍵を握ることがあります。「自宅からオフィスまで具体的にどのようなルートと手段で通うか」「通勤ラッシュの時間帯をどう考えているか」「家族のサポートが必要な状況はないか」を具体的にシミュレーションさせ、無理なく通えるかを確認することが定着率向上への近道です。
3. 明確な評価基準と短期的なキャリアビジョンへの期待値**
「頑張れば将来報われる」という日本的な曖昧な約束ではなく、具体的な評価制度と昇給の仕組みへの納得感を確認します。特に優秀なタイ人社員ほど、自身の成果と報酬が連動していることを重視し、成長の実感を求めます。
面接時には「入社後1年でどのようなスキルを身につけ、どのくらいの給与を目指したいか」を聞き出してください。これにより、候補者の期待値と会社が提供できる現実的なキャリアパスとの間にギャップがないかを確認できます。ここで期待値の調整(エクスペクテーション・マネジメント)ができていないと、入社後に「話が違う」と感じて早期離職につながります。具体的なジョブディスクリプション(職務記述書)を提示し、どの業務をどの程度こなせば評価されるのかを明確に合意しておくことが不可欠です。
3. 給与アップだけでは響かない?タイ人のモチベーションを高める評価制度と福利厚生の工夫
タイにおける人材マネジメントで多くの企業が直面するのが、ジョブホッピング(転職によるキャリアアップ)の問題です。「給与を上げた直後に辞めてしまった」という事例は枚挙にいとまがありません。もちろん、生活水準の向上を目指すタイ人スタッフにとって給与額は非常に重要な要素ですが、金銭的な条件だけで繋ぎ止めようとすると、より高い条件を提示する競合他社とのいたちごっこに陥ります。離職率を下げ、優秀な人材に長く定着してもらうためには、タイ独自の文化や価値観に寄り添った評価制度と福利厚生の構築が不可欠です。
まず評価制度においては、「明確さ」と「短期的なフィードバック」が鍵となります。日本企業でありがちな「背中を見て覚える」文化や、曖昧な定性評価は、タイ人社員には不公平感や不信感として受け取られかねません。職務記述書(ジョブディスクリプション)に基づき、KPI(重要業績評価指標)を用いた客観的かつ定量的な評価基準を設けることが重要です。また、1年後のボーナスまで評価が見えない仕組みよりも、四半期ごとやプロジェクト完了ごとにインセンティブを支給したり、表彰を行ったりする方が、モチベーション維持に効果的です。さらに、タイ社会では「面子(メンツ)」を非常に重んじます。人前で叱責することは厳禁ですが、逆に人前で称賛することは大きな喜びとなります。「Employee of the Month」のような表彰制度を導入し、全員の前で成果を認める仕組みは、自己重要感を満たしエンゲージメントを高めます。
福利厚生に関しては、タイ人のライフスタイルや「サヌック(楽しむ)」精神、そして家族を大切にする文化を反映させることが差別化に繋がります。以下のような施策が特に有効です。
* 手厚い医療保険と家族への配慮:
タイの民間病院の医療費は高額になる傾向があるため、本人だけでなく、配偶者や子供までカバーするグループ保険(OPD/IPD)は非常に強力な魅力となります。また、両親の誕生日に休暇を付与するなど、家族愛を尊重する制度も好まれます。
* 社内イベントの充実:
タイ人社員にとって、社員旅行やソンクラーン(旧正月)、ニューイヤーパーティーなどのイベントは、単なる行事ではなく、職場を「第二の家族」と感じるための重要な儀式です。予算をかけて盛大に行い、経営層も一緒になって本気で楽しむ姿勢を見せることで、組織への帰属意識が飛躍的に高まります。
* 勤続表彰の工夫:
長期勤続者への報奨として、現金だけでなく、タイ人が資産として好む「ゴールド(金)」のネックレスや指輪を贈呈する企業も多く存在します。形に残る資産を会社から贈られることは、社員にとって大きな誇りとなり、周囲へのアピールにもなるため、定着率向上に寄与します。
給与競争だけではなく、公平で納得感のある評価と、社員の心(ジャイ)を掴む福利厚生を組み合わせることで、会社への愛着を深め、離職を防ぐことができるのです。
4. 「ジョブホッピング」は防げるか?長く働いてもらうための明確なキャリアパス提示術
タイにおける人材マネジメントで多くの日系企業が頭を抱えるのが、「ジョブホッピング(短期間での転職)」です。少しでも給与が高い会社があればすぐに転職してしまう、と嘆く人事担当者の声は後を絶ちません。しかし、これを単に「タイ人の国民性だから仕方がない」と諦めてしまうのは早計です。ジョブホッピングは、裏を返せば「自身のスキルアップやキャリア向上に対する強い意欲」の表れでもあります。適切なキャリアパスを提示することで、その意欲を自社への定着(リテンション)というポジティブなエネルギーに変換することは十分に可能です。
優秀なタイ人社員に長く働いてもらうために不可欠なのが、透明性が高く、実現可能な将来像を見せることです。日本企業にありがちな「数年かけて社風に馴染み、徐々に責任ある仕事を任せる」という曖昧なキャリア形成は、即戦力志向の強いタイにおいては「将来が見えない」という不安材料になりかねません。彼らが求めているのは、具体的なロードマップです。
まず実践すべきは、ジョブディスクリプション(職務記述書)に基づいた明確な等級制度と、それに連動した昇給・昇格の基準を公開することです。「どのようなスキルを習得し、どのような成果を出せば、次のポジションに上がれるのか」また「その際の給与はいくらになるのか」を可視化することが極めて重要です。例えば、トヨタ・モーター・タイランドのように、現地人材の育成と登用をシステム化し、現地化を成功させている企業では、評価基準の明確化が徹底されています。
また、フィードバックの頻度も見直す必要があります。年に1回の人事考課だけでなく、四半期や月次での1on1ミーティングを実施し、目標に対する進捗確認やキャリアの悩みを聞く機会を設けましょう。短期的な目標達成の積み重ねが自身の成長につながっていると実感させることで、会社へのエンゲージメント(帰属意識)を高めることができます。
さらに、スペシャリストとしての道とマネジメントとしての道の複線型キャリアパスを用意することも有効です。全ての人が管理職を目指すわけではありません。専門スキルを極めたい人材には、その能力に応じた報酬制度を設けることで、他社への流出を防ぐことができます。
結論として、ジョブホッピングを防ぐ特効薬は、社員に対して「この会社にいれば成長でき、正当に評価され、豊かになれる」という確信を与えることです。採用時から具体的なキャリアプランを提示し、約束を守り続ける誠実な企業姿勢こそが、最強のリテンション対策となるでしょう。
5. 入社後のミスマッチをなくす!採用段階から始める効果的なオンボーディングと信頼関係の構築
タイ人社員を採用しても、試用期間(プロベーション)中や入社後数ヶ月で突然退職してしまうケースは少なくありません。多くの日本企業が直面するこの課題の根本原因は、給与条件の不一致よりも、むしろ「期待値のズレ」や「職場の人間関係」に起因するミスマッチにあります。
タイの労働市場は流動性が高く、ジョブホッピングがキャリアアップの手段として一般的です。そのため、入社後に「話が違う」「居心地が悪い」と感じれば、彼らはすぐに次の職場へと移ってしまいます。この早期離職を防ぐためには、入社初日からではなく、採用面接や内定段階から始まる「プレオンボーディング」の質を高め、心理的な結びつきを強化することが不可欠です。
ここでは、タイ人社員の定着率を劇的に高めるために、採用段階から実践すべき具体的なアクションプランを解説します。
ジョブディスクリプション(JD)の明確化と合意形成
日本企業でよく見られる「状況に応じて柔軟に対応してほしい」「空気を読んで動いてほしい」という曖昧な指示は、タイ人社員にとって大きなストレス源となります。彼らの多くは、自分の役割と責任範囲が明確であることを好みます。
採用段階において、詳細なジョブディスクリプション(職務記述書)を提示し、「何を期待されているのか」「評価基準は何か」を徹底的にすり合わせることが重要です。「その他付随する業務」という項目についても、具体的にどのような作業が含まれる可能性があるのかを事前に説明し、納得感を得ておくことで、入社後の「それは私の仕事ではない」というトラブルを未然に防ぐことができます。
「サヌック(楽しさ)」と「ピー・ノーン(先輩・後輩)」文化を取り入れる
タイの職場環境において、人間関係の良好さと「サヌック(楽しさ)」は、仕事のモチベーションを維持する上で極めて重要な要素です。職場が楽しくなければ、どれだけ待遇が良くても離職を選ぶ傾向があります。
入社前からチームメンバーとのランチ会を設定したり、オフィスの雰囲気を見学させたりして、心理的な壁を取り除いておきましょう。また、タイ特有の「ピー・ノーン(先輩・後輩)」システムを活用し、業務指導係とは別に、メンターとなる年齢の近い先輩社員(ピーリヤン:お世話係)をアサインすることも効果的です。業務上の悩みだけでなく、個人的な相談もしやすい環境を作ることで、組織への帰属意識を高めることができます。
明確なキャリアパスとトレーニング機会の提示
「この会社にいても成長できない」と感じた瞬間、優秀な人材ほど転職を考え始めます。採用面接の段階から、入社後のトレーニング計画や、1年後、3年後の具体的なキャリアパスを提示してください。
タイ人は自己成長やスキルアップに意欲的な人が多く、会社が自分への投資(教育)をしてくれることに対して、強いロイヤリティを感じます。単なる労働力としてではなく、将来の幹部候補やスペシャリストとして期待していることを伝え、そのためのロードマップを共有することで、長期的な信頼関係(チャイ:心)を築くことができるでしょう。
採用活動とは、単に欠員を埋める作業ではなく、長く共に働く仲間を見つけ、育てていくプロセスの始まりです。入社前の丁寧なコミュニケーションと期待値調整こそが、最強のリテンション対策となります。

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